加賀百万石の焼き物 九谷焼の歴史と特徴

伝統工芸品・民芸品

加賀百万石の伝統を伝える九谷焼は、石川県南部を中心に生産が行われています。 九谷焼は色絵磁器で、大きく分けて古九谷と再興九谷があります。 古九谷は、1655年に現在の加賀市山中温泉九谷町で始まっています。 加賀藩では江戸や京都から蒔絵などの名工や狩野派の画工を多数小平氏、西洋や中国からも文物を収集するなど熱心に文化を発展させます。 豪華絢爛な絵柄が特徴の古九谷ですが廃絶の道を辿り、加賀藩直営で九谷焼再興が始まります。 様々な窯が各地で再興九谷の生産し、招聘された画工の好みや流行によって様々な画風が確立されます。 特に有名だったのが300人ほどの門弟を持っていた九谷庄三で、九谷庄三が生み出した作品は「ジャパンクタニ」と称され海外にも輸出されて人気を集めます。

九谷焼の歴史と特徴について

1655年加賀藩の茶人であった前田利治は久谷に陶石を発見し、そのことで藩士の後藤才次郎を肥前有田に向かわせたのました。そこで有田焼の技法を習得させ、加賀に窯を作ることを考えました。有田焼から技術を学んだ後藤才次郎によって九谷に窯を作ったのです。これこそが九谷焼の始まりと歴史と言われています。しかし1730年代に入ると突如九谷焼は衰退の一途をたどり、窯がなくなってしまっいました。これは九谷のミステリーともいわれており、いまだに衰退した原因はわかっていません。1730年以前の九谷焼は希少性をまし、いまでも古九谷と呼ばれ珍重され市場では高値で取引され、芸術品ともいわれる域に達しているのです。1807年に再び加賀藩によって窯の再興がみられるようになりました。金沢の春日山窯などが再興された窯として有名です。九谷焼は絢爛豪華な色彩、ダイナミックな絵柄で人々を魅了し茶の湯の世界においても無くてはならない陶器になっていました。華やかな器はもてなしの上で珍重され、そのことで再び九谷窯を再興することになったのでしょう。 明治時代に入ってからは彩色金襴手が有名になり、大量のアイテムが海外に輸出されました。きっかけとなったのがウィーン万博で、ジャパンクタニとして名前が一気に広まります。特徴として豪快且つ色調が渋く、独特の魅力があり日本の色絵陶磁の代表です。外国の著名な人にも広く愛用されていて、今では日本の美として親しまれています。

九谷五彩

九谷焼の魅力は華やかで豪華な絵付けが特徴です。色絵の五彩手と言われる構図、デザインが有名です。群青色のラインを中心とし、九谷五彩という緑、紺、黄や赤、紫が用いられて描かれます。青手というデザインも存在し個性が際立っています。青を基調として赤以外の久谷五彩を用いて埋め尽くすように磁器に絵を描いていきます。また逆に赤絵金襴手と言い、赤い塗りと赤いラインを基調とし金を施していくデザインも見られます。江戸後期に開発されたデザインであり、現代ではこのデザインを九谷焼の代表作として認知している人も多いのです。こうした華やかなデザインは、インテリアとして飾られ、生活空間を彩り豊かなものにしてくれます。

九谷焼の作り方

九谷焼の原材料である陶石には内部に多くの空気が含まれているので、土の中にある空気を取り除くべく専用の機械を用いてしっかりと練りつつ、割れやヒビが生じないように均等にします。一方であえて細やかな空気を入れる作り方も存在し、細やかな空気を入れたい時には人の手を使って揉みます。

必要に応じて土の中の空気の量を調整した後は成形の段階へと移りますが、成形をする方法はろくろを使用する事例と型を使用する方法の2種類があり、ろくろを使用する際は装置の上で土を上下させて中心を揃えます。軸が決まったら成形へと着手し、外側と内側から指で挟み込むようにして厚みと角度を調整して形作っていきます。

厚みと角度を意識し、理想的な形になってきたら、竹の棒で作られた十字の計測道具を使って成形したばかりの物の長さや高さ、幅などを計測していき道具に則ってより一層均一が実現するようにします。 形状が出来あがれば、底部を糸を使って切り離していきますが、切り離し作業も高い技術が必要になります。

成形をする際にろくろを使うのではなく型を使う方法を選ぶ場合、使う土は板状にしておく必要があるため、平らになっている一塊の土から糸を使用して削ります。一塊の土から薄く削り出す事ができたら、型に削り出したばかりの粘度を置き、手で力を入れて叩いて成型していきます。

2日間にわたって乾燥室にて乾燥させた後は素焼きを施して生地を硬くすると下絵が付けやすくなり、筆に顔料と付けて下絵をデザインした後は表面上に透明な液剤を与えてもう一度乾燥させます。 2度目の乾燥を終えた後は本焼きの段階になり、高さが天井まである窯にて高温を与えつつ10時間以上焼き上げた後追加で絵付けをする物と絵付けをしない物に分けて、追加で絵付けをする物については絵付けした後に焼成し完成です。焼き上がった時には収縮作用で焼き上げる前の物よりも2割分コンパクトになります。

九谷焼を代表する窯元

現在でも全国にファンを持つ九谷焼の窯元は上出長右衛門窯や青窯、虚空蔵窯が有名です。

上出長右衛門窯

上出長右衛門窯は石川県能美市で創業してから、130年以上も先人の伝統を受け継いでいます。 老舗の窯元で、彩り鮮やかな上絵付けでも広く知られます。 上出長右衛門窯では割烹食器を中心に、茶器や酒器なども製造しています。 九谷庄三の出生地で創業した上出長右衛門窯は、磁器の歴史を大切にしながら職人が丹精こめて器を製造します。 深みのある藍色の染付と九谷古来の彩りを施し、古典と新しさを融合した九谷焼を世に送り出しています。

青窯

1971年に誕生した青窯では、全国から集まった若い陶工たちが作品を作っています。 九谷焼の伝統技術を活かしながら自由な発想で作るため、九谷焼を知らない若い世代の人にも人気があります。 釉薬のかかり具合や筆の後が器ごとに違うため、手仕事ならではの個性が出ています。高原真由美は青窯シリーズの作家で、大学で陶芸を学び九谷青窯に入社します。 オリジナリティあふれる作品はシックで、女性らしい優しさに満ちています。

虚空蔵窯

虚空蔵窯は工房の奥にある山から名付けられた窯元で、1997年からスタートしています。 分業が進んでいる九谷焼の世界では珍しい一貫生産スタイルで、若手が多いのも特徴です。 ひとつずつ丁寧に手描きで作るため、個性的な作品が揃っています。 九谷焼と虚空蔵窯の世界観は、日本国内だけでなく海外でも支持されます。

徳田八十吉

有名作家では、人間国宝の三代目徳田八十吉が広く知られています。 三代目徳田八十吉は初代の孫で、大学を中退した後に初代と二代目に師事します。 1988年に三代目を襲名すると、1991年の第11回日本陶芸展で大賞を受賞し話題になります。 1997年6月6日に重要無形文化財の保持者に認定された三代目徳田八十吉は、古九谷の学術研究でも知られます。 三代目徳田八十吉の作品は、釉薬で色彩を調整した群青色が有名です。 山水や花鳥風月などが描かれる従来の九谷焼とは異なり、色のグラデーションのみで仕上げる技法は海外でも高い評価を受けています。 徳田八十吉の作品は、1000度前後の高温で焼成して出した深い色味も特徴です。

”かわいい九谷焼”と出会う、石川の旅

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