北陸最古の焼き物?!越前焼の特徴や窯元まで

伝統工芸品・民芸品

越前焼は新潟県小地谷地方の伝統工芸であり、2020年8月現在で地域内に4つの窯元が存在します。1981年に国の伝統工芸に指定され、主に花瓶・皿・茶碗が制作されています。越前焼の歴史は850年ほど前の平安時代末期に至ります。 当時は須恵器が作られていましたが、平安時代末期に入ると、常滑の技術を採り入れた焼き締めが登場することになります。 また、最初に作られた窯は越前陶芸村の越前町小曽原とされていて、最初期の越前焼は常滑からやってきた陶工の手により作られていたと考えられます。

越前焼の特徴

越前焼の特徴は壺やかめ、すり鉢といった焼き物の多様性にあります。 薪の灰が溶け込むことで作り出される風合いは、越前焼ならではの自然な質感です。 更に、当時は宗教的な経筒などを納める、みのや三筋壺が作られていました。 越前焼は焼くと硬く丈夫な為、船に乗せて運ぶ荷物に使われてきた歴史があります。 用途は水や穀物の運搬、貯蔵を始めとして藍染や銭瓶の用途もあったようです。 それだけに、越前焼は幅広く多くの人達に愛され、北陸地方で最大規模を誇る焼き物になったわけです。

越前焼の最盛期

越前焼が最盛期を迎えたのは室町時代後期のことで、窯場はすっかり大忙しとなりました。 ところが、江戸時代も中頃に差し掛かると他の焼き物が現れ、瀬戸焼などに押されて越前焼は衰退期に入ります。 生産量は落ちて窯の規模も小さくなりましたが、窯の多くは平等村の集落に移り焼き物を作りを続けました。 平等村では人々が農作業と焼き物で生計を立てていたものの、薪集めや粘土集めに苦労していたといわれています。 それでも諦めることなく焼き物が続けられ、越前焼の技術は守られてきましたが、江戸時代後期に入っても衰退を免れることはできませんでした。 陶工達は徳利などの食器や、明治時代になると花瓶作りに挑戦しましたが、残念ながらヒット商品に恵まれず、窯元の廃業が相次ぎました。

現代の越前焼

現在残っている越前焼の作家や窯元は、時代の変化の中で厳しい状況を乗り越えてきたものばかりです。 試行錯誤が行われてきた時期には、磁気や色絵の技術も採り入れようと挑戦されてきたので、現代の越前焼にもこれらの挑戦の跡が見られます。 それと、近年は伝統技術を活かした新たな越前焼に挑戦する流れが生まれていますから、今後も目を離すことはできないでしょう。 越前焼の作家や窯元で有名なのは、現代だと桝田屋陶房の桝田屋光生や宗山窯の宗倉克幸、そして越前天喜窯の神谷啓介などです。 他にもまだまだ越前焼を愛し、新たな表現に挑戦する作家は存在しますし、再び越前焼が注目されるようになった戦後から窯元も増えて、また盛り上がりを見せています。 今では全国から作家が越前陶芸村に集まり、日々作品作りが行われていて、日本六古窯の1つとして注目を集めます。

越前焼の作り方

越前焼の作り方は登り窯を計4つのブロックに区切って、それぞれ異なった温度の熱を加えて作られていきます。使用する土は石灰石・珪石・粘土を混ぜますが、この割合に決まりはなく各作家・窯元に伝わる混合率で作られているのが特徴です。釉薬は新潟県の庄内山地で採取されているナナカマドという植物の実を使用していて、熱を加えると薄紅色になります。この点はルーツである景徳鎮とは異なっており、越前焼の最大の特徴にあげられる点です。粘土を作る時は塩水を用いて捏ねていき、弾力が生れたら轆轤(ろくろ)を使って形を整える作業に入ります。越前焼の場合、他の陶器を制作するのとは異なって、基本的に分担業となります。このため各窯元では10名以上の職人が在籍していて、成形・釉薬の塗布・窯場などの専門に分かれて作業をなされるのが特徴です。それぞれ20年以上のキャリアを積んで一人前と見なされ、窯場に至っては約40年もの間従事しないと火加減の調整をおこなえないとも言われています。登り窯には一番奥から花瓶、次に大皿・茶碗と設置をしていき、最後の4段目の窯にヒノキをくべて火をつけます。蒸し焼きにするのが越前焼のポイントで、火の高温・低温によって釉薬の色も変化をします。16時間の焼き時間となり、すべての品で純白の美しい姿を目にすることが可能です。最後に絵付けをなされますが、この絵付けで使用される顔料は主に硫黄と酸化鉄になっていて直射日光下で1日乾かすと、青色に変化をします。

「越前焼ものがたり」陶展 福井の陶芸作家12人が集結/ふくい工芸舎

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