京都の大手和食器メーカーたち吉について

伝統工芸品・民芸品

京都たち吉は、京都市下京区に本社を構える陶磁器の製造販売会社です。創業は江戸時代の前期である1752年という長い歴史と実績があり、現在では全国の百貨店などに100を超える店舗があります。売上高は年間およそ50億円前後と国内でも数少ない陶磁器メーカーで、特に和食器の業界では突出した規模の存在となっています。もともとは茶の湯の伝統がしっかりと息づく京都において、その中心地でもある四条富小路に「橘屋吉兵衛」という名称で陶器販売店を出したことがその歴史の始まりです。

たち吉への社名変更と苦境

日常的に良い器を使う喜びを知っている目利きぞろいの京都という場所において取り扱う質の高い陶器が評判を呼び、明治という新しい時代になっても「橘」の家紋の入ったのれんを守り続け、1894年に8代目当主である岡田徳之助が屋号を「たち吉」と改称しました。その後も店舗経営は順調に進んでおり、大正・昭和に幾度か起こった戦火においても太平洋戦争中の一時期休業したのみで営業を続けていましたが、1950年に隣家が火元の火災が店に燃え移り、建物と商品を次々に呑みこんでしまいます。鎮火した店内は惨憺たるもので、創業から200年もの間大切に受け継いできた店は一瞬で消失してしまいました。これは、当時の主である富田忠次郎がこつことと資金を貯めて、ようやく陶器販売に本腰を入れようとしていた矢先の出来事です。

再起

しかし、ここで富田忠次郎は大勝負に打って出ました。焼け落ちた店の前には、一言「再起」と書かれた大きな垂れ幕を掲げ、その下で焼け残った商品の大安売りを始めました。それはこれまでの歴史と伝統を一切投げ打った形で、ゴザの上に商品を並べただけのまるで夜店の茶碗市のような光景でしたが、京都の人々の間では好意的に受け取られました。これまでは高級なイメージが強かったたち吉の商品でしたが、これを身近なものに感じさせることに繋がり、大好評のうちに一か月ほども続いた結果、火事からわずか半年足らずで店を再建することに成功します。

発想の転換

そして1951年に開店したこの新店では、これまでの主流であった同じ種類の陶器を重ねて販売する方式から、贈り物にしたくなるような楽しく美しい陳列にするため、違う種類の商品を組み合わせた「セット陳列」を採用しました。商品には分かりやすいように説明書きを付けたり色紙などの小物を使って華やかさを演出したことにより、日常的に使う器から「ギフト」にも使える器として、たち吉の商品は他の陶器店と一線を画した独自のスタイルを確立します。現在では陶器はもちろんのこと、手ぬぐい・ハンカチ・風呂敷・箸・南部鉄器や銅食器など大変幅広い分野の商品を取り揃えており、日本の和食文化を支え続けています。たち吉の日本らしい季節の絵柄や縁起の良い文様が描かれた小物類は海外でもとても評判がよく、外国人旅行者の日本土産や海外の友人へのプレゼントなどにも喜ばれています。

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