陶芸を代表する技法 油滴天目についての紹介

有田焼

油滴天目とは12世紀から13世紀の南栄時代に中国の南部に位置していた建窯で手がけられた技法が創始となっており、窯内で生じた斑紋が宇宙のようでもあり、玉虫色に光る油の斑紋のようでもあることからその名が名付けられました。戦国時代には日本の戦国武将、茶人たちにこよなく愛された技法です。

油滴天目の特徴

そのような制作段階に見られる天然自然にうつろう窯内の神秘を作品の仕上がりに活かす、窯変と呼ばれる技法の一種であることが製作上の特徴でもあり、内外全面に油滴と呼ばれる粒状の斑文が散らばり、貴金属のような輝きを見せるのも油滴天目の特性の一つです。作品によって異なる斑紋の様子が見られるため、唯一無二のグラデーションの美しさが感じられます。

日本の国宝として

また、器が伝来したのは中国が起点ではあるものの長い歴史の中では日本における高い知名度を有している信長や秀吉、千利休など歴史上の人物も惚れ込んで所有していた事がありますし、今日においても器に強く興味関心を抱いている目利きの方々から熱視線を集めています。

希少性の器

油滴天目の特性上、一度に多くの器を手がけにくいのに加えて化学変化が生じたとしても各々で見られる模様に差異があります。そういった希少性の高さやそれぞれに見られる模様が異なる点、日本文化のわびさび、幽玄に通じることから、歴史上では献上品、大名品として大変重宝されてきました。

国宝や重要文化財の油滴天目茶碗のご紹介

天目茶碗は中国の宋代に浙江省の天目山一体の寺院で使われていた茶器で、日本に輸入された後は欲しがる人が多く瀬戸の陶工が似せたものをつくるようになりました。そんな天目茶碗の中で、油の滴がついているような美しい模様がついたものを、油滴天目茶碗と呼びます。同じく天目茶碗の最高峰である曜変天目茶碗とともに、油滴天目茶碗は国宝や需要文化財として指定されているものがあります。

国宝の油滴天目

国宝の油滴天目茶碗は、金によって領土を奪われた後の南宋時代の作で大阪の東洋陶器美術館に所蔵されています。縁には装飾及び補強をするための金覆輪という金色の縁取りがしてあり、器の内と外には油滴天目茶碗の特徴である油滴が全体的に散りばめられています。黒い釉薬がかかった地の上に、広がる油滴の見事さはとても神秘的です。この油滴天目茶碗が日本に伝来したのは鎌倉時代のことで、後に足利義政から悲劇の関白と言われる豊臣秀次のものになり、さらに西本願寺から京都の三井家を経て酒井若狭家、そして戦後の十大総合商社のひとつ安宅産業と持ち主が変わりました。最終的には安宅産業の経営が破綻し、住友グループに渡ったところで大阪市に寄付されて、現在の美術館の所蔵品となりました。

重要文化財の油滴天目

そして重要文化財に指定されているのは、2点あります。ひとつは九州国立博物館に所蔵されているもので、南宋時代に福建省北部にある水吉鎮の建窯(けんよう)で焼かれた品です。箱には千利休あるいは古田織部の筆による「ゆてき」という文字が書かれています。もうひとつは京都大徳寺龍光院に所蔵されている油滴天目茶碗です。慶長15年に、安土桃山時代に千利休と今井宗久とともに天下三宗匠に挙げられた津田宗及の子が、大徳寺に入り156世住持となったときに寺のものになったと言われています。 国宝の油滴天目茶碗については、どこかに貸し出している時以外は常設展で鑑賞できます。常用文化財の2点は、展示される予定がない限りは直に見ることはできません。公開の予定があるかどうかは、随時美術館及び大徳寺の出している情報を確認しましょう。

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