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伝統工芸品・民芸品

実は有田焼とつながっていた!出石焼の歴史と特徴

出石焼の歴史の始まりは、1764年に出石町に土焼の窯ができたことでした。その後の1789年になると、土焼ではなく石焼に注目して、出石藩よりお金を借り手有田で磁器の製造法を学んだのです。その後有田の陶工を連れて帰って石焼を始め、連れてこられた有田の職人がその地で焼き物を始めます。そして1799年には出石藩が窯の直営に踏み切り、良質の陶石を発見した場所に窯を移します。良質の陶石が取れる場所に移動したことで、磁器製造が開始されることになったのです。
伝統工芸品・民芸品

愛媛の温かい焼き物 砥部焼の歴史と特徴

日本には伝統的な技術を受け継いだ多種多様なやきものが存在していますが、そのなかでも独特の魅力を放っているのが砥部焼の存在だと思います。見た目の美しさはもちろんのこと、誰でも気軽に使用できる便利な作りであることから広く親しまれるようになり、昔から多くの方が日常的に使用するなどその存在は多くの人々を虜にしていると言えるでしょう。
お祝い・プレゼント

99歳の誕生日を祝う白寿祝いのプレゼント特集

日本では長寿のお祝いを家族が行う風習があります。最初は満60歳を迎えたときの還暦、その次が70歳の古希・77歳の喜寿・80歳の傘寿・88歳の米寿・90歳の卒寿、99歳の白寿、そして100歳の百寿といった具合に100歳になるまでに7度のお祝いが待っています。
有田焼

日本を代表するシェフと有田焼ワイングラスの饗宴 BISHOKURUのご紹介

コロナウイルスの影響で大きなダメージを受けた飲食店を救うために、自宅におりながらも有名シェフが創る本格的な料理を食べることができる新サービスが発表されました。それは今までにないお取り寄せサービス「ビショクル」です。今まではレストランに足を運ばないと食べることができなかった本格的な味を、自宅から出ずに楽しむことができます。コロナウイルスに感染するリスクを下げたまま、飲食業界を盛り上げることができる画期的なサービスです。
お祝い・プレゼント

100歳の誕生日を祝う百寿祝いのプレゼント特集

百寿・紀寿とは100歳になったことを喜ぶ長寿祝いで、その由来と意味には「100」という数字が関わっています。まず百寿の名前の由来と意味は文字通り、「100歳を迎えて目出度い」ですが、紀寿の場合は「一世紀も生きておめでとう」という意味合いが強いです。
伝統工芸品・民芸品

日本最南端のエキゾチックな焼き物 沖縄やむちんの歴史と特徴

やちむんの歴史も古く、1616年ごろ朝鮮人の職人の指導の下沖縄にその伝統製法の原型が伝来しました。やちむんとは沖縄の言葉でぽってりと力強いというニュアンスがあり、その名の通りこの焼き物は分厚くダイナミックで、そこに大胆な絵付けなどが施されるのが特徴です。
伝統工芸品・民芸品

京焼とも関係あり?丹波立杭焼の歴史と特徴

丹波立杭焼の歴史・発祥は、平安時代末期から鎌倉時代のはじめにあります。桃山時代までは窖窯が使われていたのですが、慶長の頃に登窯が使われ始め、この時代からとり入れられた蹴りろくろと一緒に伝統技術が現在に引き継がれています。 壺やすり鉢などが主な製品として愛されていましたが、江戸時代の前期に入ると茶碗や茶入、水指などが作られるようになり、その後篠山藩の保護育成により多くの名工が腕を競うことで、丹波立杭焼の名をさらに高めたのがおおまかな歴史です。
赤膚焼

赤膚焼の歴史と特徴

奈良県には赤膚焼という焼きものがあり、この始まりというのがはっきりしていないのですが、安土桃山時代の豊臣秀吉などが行っていた茶道などが、広がって秀吉の弟である秀長が、当時の郡山城主として土地を治めていたところに、職人を呼んできて茶道具を作らせたのが起源という可能性があるとされています。当時は武将などが功績を治めた褒美の品として、茶道具というものは大変重宝されていたと言われているのでその点でも大切なものだった事が伺えます。
伝統工芸品・民芸品

戦国の巨魁 黒田官兵衛とも関係あり!高取焼の歴史と特徴

高取焼の歴史を語るには、1606年にまで遡ります。慶長11年、黒田長政が朝鮮陶匠の八山を連れ帰り、鷹取山の麓に窯を築かせたのが始まりとされています。この場所が永満寺宅間で、今の福智町のことです。 当時は織田信長が掲げた御茶湯御政道がきっかけで、政治と茶陶に密接な関係がありました。戦功のある大名には貴重な茶陶を与え、それが一国の価値と同等とも言われていたような時代です。そのため貴重な茶陶には政治的な価値や強さがあると考えられており、優秀な技術を持つ朝鮮の陶匠たちが挙って日本の武将たちに招聘されていた事実があります。
伝統工芸品・民芸品

歴史はあるけど案外ポップな焼き物 福岡上野焼

上野焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の引き上げ時に、肥後熊本藩初代藩主の加藤清正が連れて帰った朝鮮陶工・尊楷が基礎を作った陶器です。上野焼は江戸時代には、茶道具を作成する窯元として「遠州七釜」にも数えられるほど、茶人に愛されました。
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