伝統工芸品・民芸品

有田焼

一生モノの器を贈る。特別な退職祝いのプレゼント特集

退職祝いとは、今までの感謝の思いと労いの意味を込めて、お世話になった上司や同僚に記念になるプレゼントを贈ることを言います。定年退職や寿退職など同じ退職でもいろいろありますが、何れも人生における大きな節目になるため、贈る人に喜ばれる品物を選ぶと共にマナーにも注意する必要があります。
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現代の名工 黄綬褒章ダブル受賞 惣次郎窯ってどんな窯?

惣次郎窯は、国から卓越した技術者に与えられる称号である現代の名工を持つ大串惣次郎が始めた窯元であり、手轆轤技術の原点である丸物だけではなく、色々な変化を楽しむことができる焼き物や、現代的な感覚を取り入れた染付の美しい作品をつくっているという点が特徴的です。
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有田焼白磁の名匠 山口幹彦と山幹窯について

造形に優れた有田焼の現代の名匠として広く知られているのが、透き通るような美しさを誇る白磁を作り上げている山口幹彦です。山口幹彦は佐賀県有田町に生まれ佐賀県立有田工業高校の窯業科で陶芸を学びましたが、現在の芸術的な手ろくろによる成形は独学で身に付け40年以上オンリーワンの柔らかい曲線と内側から輝くような白い磁器を作り続けています。
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皇室・将軍家献上の流れを組む色鍋島の名門 虎仙窯ってどんな窯元?

虎仙窯とは江戸初期より皇室や将軍家への献上品として愛された色鍋島を現在も制作しており、有田焼高級ギフト専門店である「jtopia」では染錦と呼ばれ、極細の筆致と虹の七色に似た多色を用いて対象を描き上げる日本日の極地と呼ばれる虎仙窯の青木妙子さんの作品を数多く取り扱いしています。虎仙窯は現在まで400年の歴史を持つ鍋島藩専属藩窯の系譜であり、染錦と呼ばれる最も困難な陶芸技法の名手で機能性と美術品の風貌を兼ね備えた風雅なる器の数々が特徴です。
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実は有田焼とつながっていた!出石焼の歴史と特徴

出石焼の歴史の始まりは、1764年に出石町に土焼の窯ができたことでした。その後の1789年になると、土焼ではなく石焼に注目して、出石藩よりお金を借り手有田で磁器の製造法を学んだのです。その後有田の陶工を連れて帰って石焼を始め、連れてこられた有田の職人がその地で焼き物を始めます。そして1799年には出石藩が窯の直営に踏み切り、良質の陶石を発見した場所に窯を移します。良質の陶石が取れる場所に移動したことで、磁器製造が開始されることになったのです。
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愛媛の温かい焼き物 砥部焼の歴史と特徴

日本には伝統的な技術を受け継いだ多種多様なやきものが存在していますが、そのなかでも独特の魅力を放っているのが砥部焼の存在だと思います。見た目の美しさはもちろんのこと、誰でも気軽に使用できる便利な作りであることから広く親しまれるようになり、昔から多くの方が日常的に使用するなどその存在は多くの人々を虜にしていると言えるでしょう。
有田焼

日本を代表するシェフと有田焼ワイングラスの饗宴 BISHOKURUのご紹介

コロナウイルスの影響で大きなダメージを受けた飲食店を救うために、自宅におりながらも有名シェフが創る本格的な料理を食べることができる新サービスが発表されました。それは今までにないお取り寄せサービス「ビショクル」です。今まではレストランに足を運ばないと食べることができなかった本格的な味を、自宅から出ずに楽しむことができます。コロナウイルスに感染するリスクを下げたまま、飲食業界を盛り上げることができる画期的なサービスです。
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日本最南端のエキゾチックな焼き物 沖縄やむちんの歴史と特徴

やちむんの歴史も古く、1616年ごろ朝鮮人の職人の指導の下沖縄にその伝統製法の原型が伝来しました。やちむんとは沖縄の言葉でぽってりと力強いというニュアンスがあり、その名の通りこの焼き物は分厚くダイナミックで、そこに大胆な絵付けなどが施されるのが特徴です。
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京焼とも関係あり?丹波立杭焼の歴史と特徴

丹波立杭焼の歴史・発祥は、平安時代末期から鎌倉時代のはじめにあります。桃山時代までは窖窯が使われていたのですが、慶長の頃に登窯が使われ始め、この時代からとり入れられた蹴りろくろと一緒に伝統技術が現在に引き継がれています。 壺やすり鉢などが主な製品として愛されていましたが、江戸時代の前期に入ると茶碗や茶入、水指などが作られるようになり、その後篠山藩の保護育成により多くの名工が腕を競うことで、丹波立杭焼の名をさらに高めたのがおおまかな歴史です。
赤膚焼

赤膚焼の歴史と特徴

奈良県には赤膚焼という焼きものがあり、この始まりというのがはっきりしていないのですが、安土桃山時代の豊臣秀吉などが行っていた茶道などが、広がって秀吉の弟である秀長が、当時の郡山城主として土地を治めていたところに、職人を呼んできて茶道具を作らせたのが起源という可能性があるとされています。当時は武将などが功績を治めた褒美の品として、茶道具というものは大変重宝されていたと言われているのでその点でも大切なものだった事が伺えます。
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