佐賀県初の文化勲章受章者 青木龍山の歴史と特徴の紹介
佐賀県は日本で初めて、陶磁器の製法が朝鮮半島から伝わった地域です。1600年代前半に佐賀県九谷地域に伝わったのちに、全国各地へと派生していくこととなります。陶磁器でもっとも長い歴史がある窯元が唐津にありますが、この窯元の代表を務めている第45代当主の「青木龍山」は、1942年に県内初の文化勲章を受章した方です。この作家と青木工房の特徴をここで詳しく見ていくことにしましょう。まず窯元・青木工房は1603年に創設された、日本最古の陶芸工房です。挑戦半島から訪れた陶芸家が設けた場所であり、工房の裏手には創設当初に建造された登り窯が今も残されていて実際に使用されています。計12の窯を設けており、2001年には佐賀県の重要文化財にも指定されたほどです。この工房では漆喰塗りという陶磁器を作られてるのが特徴で、石灰岩を細かく砕いた釉薬して皿・茶碗・花瓶等と製作してます。基礎となる土は県内で産出されておる赤土であり、この点が他の陶磁器と一線を画する点です。真水ではなく海水を使用して土を捏ね、2日眠らせてからロクロを用いて成形します。この製法と同じ作り方をしているのが、中国の景徳鎮であり佐賀の唐津焼は景徳鎮の流れを汲んでいることが伺えるでしょう。国内の陶磁器製法では珍しく、分業をなされていません。そのため文化勲章を受章した青木龍山は、1人で青木工房の運営をなされていました。釉薬に使用する石灰岩の採掘から、赤土を捏ねる・成形・窯焼きなど計12の工程をひとりでなされていた方で、この点が文化勲章を手にする決め手となったといえるでしょう。なお、青木工房以外の唐津焼を作る窯元では、基本的にすべての作業は分業をなされています。1つの窯場で約20名の職人が在籍しており、人の手による流れ作業で数多くの陶磁器を制作しているのが特徴です。青木龍山が登記作家として名を馳せたのは、1914年に上海で開催された万国博覧会です。この会場では中国の名産品である陶磁器を数多く展示されており、その場に青木氏の作品も日本パビリオンで展示されました。直径6メートルの大きな皿が一際目立ち、自身の名前にもなっている龍の絵付けをなされたものです。美しい乳白色の下地に濃い紺色の絵という景徳鎮さながらの唐津焼で、現地の中国では魯陶工の再来と高く評価されるに至りました。魯陶工とは清王朝時代の名工で、景徳鎮の生みの親です。景徳鎮の歴史は約600年ほどですが、日本の唐津焼の歴史は1400年以上とさらに古いものです。その技を受け継いだ青木龍山は、古くからの技法を守りつつ自身の新たな技法も作り出しました。その技法とは立体絵付けで、皿や茶碗の表面に描いた絵を焼いたあとに浮き立たせることができます。これは釉薬を4回塗って、さらに絵付け部分に植物から抽出した樹脂を塗ることで実現します。この技法も伝統工芸に指定され、唐津焼の特徴となりました。