陶芸の染付技法 染付の歴史と特徴
染付とは?
染付が歴史的に登場をするのは、大陸中国を唐が治めていた時代であり、9世紀ごろまで遡ると言われています。それまででも文様を施したりするのは、世界中の遺跡などの発掘した陶器類にはよく見られた技法で、殺風景な当時の暮らしに趣向を凝らした形で発展したのは確かです。 実際に縄文土器や弥生土器などの土器類にも独特の文様を施しているのを見て取ることができ、当たり前のこととして発展しています。ただ実用性を重んじることもあり、形状や文様に拘ったのは確かですが、それが色で染める技法は比較的に歴史的にも浅いものであると言うことが可能です。 食器や供える上での器類に色を付けるというのは、当時ではあんまり考えられないことでしたが、それを行うことでより独自的な物を産み出せるとして発展しています。確かに文様だけでなく、色付けにも拘れば華やかな印象にもなりますし、祭事などにも率先して活用できるものとして重宝されるからです。 染付は白色の胎土をベースにし、そこに酸化コバルトによる絵具で色を付け、そこから釉薬を塗り高温で焼きを入れることで色を付けることが可能です。なお最初に染付での色は、白地に青色で今でも焼き物の定番の色合いになり、例えば古い民家などで昔の茶碗などが出てくると総てそれではないかと考えられます。 日本ではまずは中国と交易が盛んに行われた唐代に遣唐使の持ち帰った陶磁器類に、その色合いを見ることが可能です。時代で言えば平安時代の中頃であり、当時は珍しく感じたことでしょう。 当然、こうした陶磁器を製造する技法も伝わったとされ、それに対しての研究も盛んに行われております。日本では中国より伝わった技法に、それをアレンジした技法を見ることができます。 ベースとなる磁土がありますが、一回素焼きにしてから染付を行う工程を採用し、簡単な焼きを最初に行う特徴が見られます。中国の技法では素焼きの工程がなく、生の状態で色を付けてから焼くというシンプルな形でしたが、それが日本の一般的な技法になっております。 なお日本でも本格的な色を付けるに至ったのは17世紀であり、佐賀県の有田地方を中心に栄えた伊万里焼にて見ることが可能です。この伊万里で染付で焼かれたものが、日本全国各地に行き渡り、そのご当地の陶芸が生み出されたのは言うまでもありません。 例えば著名な石川県の九谷焼は、実際に伊万里を原形にして発展をした流れになります。一方では岐阜県の美濃焼や愛知県の瀬戸焼も1300年の歴史があり、それは遣唐使が活躍した時代から製造され続けたブランドです。 もっとも日本国内の焼き物の大半は、江戸時代に発展した伊万里の影響を受けていると言っても過言ではないかもしれません。現在の陶芸などでは、様々な色を付けることも可能となり、藍色のような青色ばかりだけでなく朱色、ピンク色、緑色など様々な色付けをすることができるようになっています。 陶芸愛好家の方も実際に焼き物を作る場合には染付に拘り、焼きを入れる場合の火力の強さによって、違いが生じる特徴を理解しています。