日本を代表する輪島塗。その特徴と歴史について
日本に数多くある漆器の中でも代表的な輪島塗
日本の伝統的な漆器といえば石川県輪島市で作られている輪島塗で、箸やお椀などが人気です。見た目も優美で尚且つ堅牢で産地の輪島市は能登半島の先端にある小さい街ですが、これで全国にその名前も知られてます。昔から日本海海運の要所で漆以外にけやきなどの素材がたくさん集まるところで、たくさんの行商人や職人、購入者によって洗練されてきました。
漆黒へと浮かび上がる加飾の優美さと重厚感ある見た目から、日本でも代表的な漆器で評価も高いです。中でも輪島の特産である地の粉を下地へ塗って、塗り上げるまでには20工程もあり、総手数になると75回から124回にもなると言われてます。大変丁寧な手作業で作られていて、木地の外側や損傷しやすい部位には漆で麻布を貼り付ける布着せの技法、地付けでは下地が剥離破損し易い上縁に桧皮箆で生の漆を塗る地縁がより品質などを高めているのも注目です。加飾も豪華で沈金技法は輪島で完成したとも言われており、これまでたくさんの名工も育てていて国の重要無形文化財にも指定されてます。
輪島塗の特徴と歴史
漆を使った器の歴史は既に驚くことに縄文時代の移籍田鶴浜町三引遺跡からも漆器が出土し、かなりの昔から漆の器が作られてきたことがわかってます。最古の輪島塗は輪島市の河井町にある重蔵権現本殿の朱塗扉とされていて、今でも使われている技法は1660年ごろに輪島地の粉が発見されたて確率していったようです。海運も恵まれていて全国へと発達しました。
それから1720年ごろには大工五郎兵衛が沈金の技術を確立させ、それまでは殆どが無地でしたがここから美しい装飾が施されるようになります。1820年ごろには会津から安吉が輪島に移住してきて蒔絵を発展させていき、豪華な装飾も加わりました。
発祥については約1000年前の大陸伝来説や15世紀初めに輪島に来た根来僧が普及した説、近くの柳田村に伝わっている合鹿碗が原型とする説など色々あります。1476年に輪島に塗師がいたことは明らかになっていて1582年に加賀藩主の能登巡行を行ったときには、既に輪島塗の特徴の一つである地の粉が使われていました。
販売は塗師屋が商品の見本を背負って全国各地を行商し、販路を拡大して18世紀になると講組織の販売も始まって需要も伸びるだけでなく品質も上がります。北前船で全国に運ばれてその名声も広がったとされます。
輪島塗は100以上の手作業の行程で成り立っていて、工数が多く実用品であるために作業効率も追及されるため分業が発達して、古くは輪島六職、現在は11の職種へと分業されてます。
その魅力は堅牢さ以外にも美しい装飾もで、いくつかの技法が使われてます。呂色(ろいろ)は、上塗りをもっと研いでから漆を刷りこみながら磨きこんで、鏡のような透明な艶を出せます。蒔絵は上塗りの上から漆で模様を描き、そこへ金粉などを蒔き付けてから漆を塗り重ねた上から磨いて固めたものです。
沈金は上塗りに模様を薄くノミで彫って漆を塗り、そこへ金箔を貼り付けてはみ出た部分を拭きとって模様を浮かび上がらせる方法です。