佐賀県有田焼の歴史が簡単にわかるまとめ!

有田焼400年の画像 有田焼のあんなことやこんなこと

世界中で愛された日本芸術の最高峰有田焼。400年以上の歴史を持つ日本を代表する陶磁器ですが、いったいどのような歴史を背景に現代に受け継がれてきたのでしょうか?今回はその全貌を明らかにします。

400年続く有田焼の歴史と伝統

有田焼とは色とりどりの絵具で彩色された日本を代表する陶磁器です。その歴史は古く400年前の江戸時代に遡ります。17世紀初めに佐賀県の有田で1人の陶工が泉山で陶石を発見したのをきっかけに有田で日本初の陶磁器の製造がはじまったと言われています。

有田焼の原材料と歴史

有田焼には歴史に育まれた鮮やかな多様性があります。有田焼がはじまった1610年ごろから40年間くらいは、器に釉薬をかける前に青い呉須という顔料で絵を描
く染付の作品を中心に作られていました。1640年頃になると初代の柿右衛門が釉薬の上から絵を描く上絵付けの開発に成功。これまで呉須一色だった絵付けが、赤・緑・黄・青・紫の5色を使って描く「五彩手」や、緑・黄・紫・青で器を塗り潰していく「青手」など多色を使った鮮やかな陶磁器が作られるようになり
ます。

西洋の王侯貴族に愛された有田焼

1670年には柿右衛門が柿右衛門様式というスタイルを確立。「濁手」と呼ばれる乳白色の素地を生かして余白を多くとり、赤を基調にした上絵を施します。金銀彩も取り入れ豪華絢爛な焼き物に仕上げました。小畑裕司は柿右衛門、その歴史と技法の系譜に連なります。

有田焼と伊万里焼の関連性

当時東インド会社を通じて世界に広がりヨーロッパの王侯貴族をも魅了しました。輸出した港が伊万里港だったため、「伊万里焼」として世界に広まり、今でもヨーロッパでは「IMARI」と呼ばれて愛されています。

世界から絶賛された奇跡の陶磁器

今から400年前の江戸時代、世界では中国の陶磁器が贅沢品として人気がありました。中国の内乱で陶磁器の生産が滞り、それがちょうど有田焼の技術が向上したころと重なったため、中国産にかわり有田の焼物が海外に輸出されていきました。はじめは中国産の代用品という扱いだった有田焼ですが、次第にその芸術性が認められどんどんと輸出量を増やしていきます。輸出された有田焼の多くは、王侯貴族や富豪が富や権力の象徴として邸宅に飾る物だったため金銀彩や色とりどりの絵具で装飾された豪華で高価な作品が多数あります。どれだけコレクションをしていくかを競っていました。

停滞と飛躍

世界の王侯貴族が愛した古伊万里ですが、残念ながら18世紀に入ると、ヨーロッパ各国の陶磁器の技術が向上し、自国で生産するようになり輸出は激減してしました。その中で世界各国で行われた万博に出展するために、有田の陶工たちは持てるあらゆる技術を用いて陶磁器を作り上げました。その作品群は各国の万博で激賞を受け、世界中にジャパニズムと呼ばれる日本文化流行の一大ムーブメントを巻き起こしました。

日本文化を代表する有田焼

現在でも江戸時代に作られた有田焼は、「古伊万里」「Old Imari」「Japanese Imari」と呼ばれ人気があります。豪華な装飾品だけでなく、普段使いの食器も食事に使って楽しんでいるアンティーク愛好家の人も多くおります。現代における有田焼は日本最大の陶磁器産地として、あらゆる食器や美術品を制作し、長い歴史と伝統に育まれた多彩な世界観を生み出し続けています。