太古から続く芸術 京象嵌・象嵌のすべて

有田焼

象嵌とは、1つの素材の中に別の素材を埋め込むことを意味しています。主に、陶芸などで使われるケースが多いです。象嵌の歴史を見ていくと、日本では飛鳥時代にはすでに伝わったとされています。もともと現在のシリアのダマスカスと呼ばれる地域が発祥とされており、その後シルクロードをつたって日本に伝わった歴史があります。ただ、飛鳥時代にそれほどたくさんの作品が作られたわけではありません。それ故、飛鳥時代のものがあればかなり高い値段がつけられるでしょう。

江戸時代以降

現在日本に残っている作品の多くは、江戸時代にできたものです。特に日本では京都でたくさん作られており、現在でも京象嵌と呼ばれる形で残されているものがあります。江戸時代に京都で作られた木工細工や陶芸細工の中には、鏡や文箱などが存在しています。きれいに漆に塗られた木材の箱や鏡などには模様が入りますが、象嵌を利用したものも多くきれいに彩られているのが特徴です。 江戸時代には、朝鮮半島の職人が日本で象嵌の作り方を学んだとされています。朝鮮半島では、あまり職人を高い身分と考える事はなく多くの場合身分が低い状態でした。ところが日本は、近くの国でありながら職人を高く評価する傾向があったわけです。そのため日本に来た職人も、朝鮮半島に帰ることなく日本に住み続けた歴史があります。

現代

その後伝統工芸の1つとして歴史を重ねてきますが、昭和になると機械化が進み様々な商品が機械で作られるようになりました。その結果、伝統工芸品のシェアは非常に少なくなっており、それほど現代では作られていません。ですがその一方で伝統工芸を大事にしようと考える人も多く、一部の職人たちがこの技法を現代でも伝承しており高い価値が付けられている傾向があるでしょう。 特徴は色褪せにくいことです。実際に江戸時代に作られた作品の多くは、色あせることなく現代でも利用することが可能です。それ故、価値が高まる可能性があるわけです。

京象嵌の作り方

京象嵌の作り方には繊細さが要求されます。まず行われるのが、鉄地金の表面に縦横に細かい溝を掘る「布目切り」という作業です。この作業が必要なのは、後で乗せる他の金属が剥がれないようにするためです。金属以外の陶芸などでは、陶磁器の本体を形作る粘土部分が柔らかいうちに嵌め込みたい素材をのせていくため、この布目切りという作業は必要ありません。金属と他の金属を組み合わせるためには必須の作業ですが、1ミリの中に7本から8本ほどの溝を掘ることが必要で、布目切り専用のたがねを使っての細かい作業です。また、溝が浅いとはがれやすくなってしまうため、作業には熟練の技を要します。

次に行われるのが「入嵌」という作業です。直径が0.15ミリから1ミリ程度の小さな純金や純銀の素材を布目に置き、小さな金づちで打ち、模様を描きます。この作業に関しては、下絵などがないため、職人のセンスが要求され、世界に一つしかないオリジナル作品となります。

イメージした模様に嵌め込むことができたら「入嵌仕上げ」という作業を行います。これは、嵌め込んだ金や銀が布目にきちんと定着するよう、ハンマーを用いてさらに打っていきます。この作業は、鹿の角で作ったハンマーと鉄のハンマーの2種類を用いて行います。鹿の角のハンマーでは、嵌め込んだ金や銀が伸びず、光沢を施すことができます。また鉄のハンマーを使うことで、金や銀の定着を助ける作用が期待できます。

次に行うのが、腐蝕・錆び出し・錆止めの作業です。酸化鉄で腐蝕させ、さらに表面にアンモニア水を塗って2日ほどムロの中に置き錆を出して布目部分を消します。さらにタンニンで錆を止めます。その

次には、漆焼きと呼ばれる色付け作業を行います。こちらでは、ガスや電気コロンの上に置いた網に作品をのせて、刷毛で漆を3回から4回ほど塗って焼いてゆきます。こちらの作業が終わったら、研ぎ出しという工程に入ります。漆を焼いて黒くなった作品の表面にへらをあてて、金や銀の模様部分を研ぎます。へらを水に濡らして丁寧に研ぐことで光沢が出て、なめらかな仕上がりになります。最後に「仕上げ毛彫り」という作業を行います。こちらでは、金・銀の模様部分に線や溝を入れたり、あえてツヤを消すために細かい砂を落とすなど、イメージ通りに作品を仕上げていきます。

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