有田焼と伊万里焼の歴史について

有田焼と伊万里焼の歴史について

九州の佐賀県西部地域に、日本で最初に磁器を焼いた有田があります。

有田・伊万里地域は江戸時代、佐賀・鍋島藩三十六万石の領内でした。豊臣秀吉によって三十六万石を安堵された竜造寺家から、支配権を譲られた重臣鍋島尚重は朝鮮出兵の際、多くの朝鮮陶工を連れ帰りました。いくつかの陶工集団があったと考えられていますが、もっとも有名なのが、金ヶエ三兵衛であり、朝鮮名を李三平と推測されています。

金ヶエ三兵衛は多久から伊万里市藤の川内を経て有田に入ります。磁器を作るには特別な原料である陶石が必要なため、それを探して領内を歩き回った結果と言います。有田では最初、西部の小溝地区に入ったとありますが、実際、有田でも西部地区で、すでに唐津陶器の生産が行われていました。この唐津陶器を焼く窯場に金ヶエ三兵衛の集団も加わって磁器焼成の試みを行いました。

 

そのうちに有田でも、より山間部の東部地区、すなわち有田皮の上流で良質の陶石場・泉山が発見されました。それまで人もすまないような険しい山中でした。陶石は岩脈のため、砕石場は一ヶ所に限ったものではありませんが、質はそれぞれ違いがあり、その点で泉山が磁器原料として質量ともによかったようでうs。この石場の発見によって谷間にも窯が築かれ始めました。しかし、それを完成させたのは寛永十四年(1637)の鍋島藩による窯場の整理・統合事件でした。

当店イチオシの商品

  • おすすめ 2014年 人気ランキング第1位
  • テレビ放映中 最高の焼酎を味う為の匠の極上カップ
  • おすすめ 天皇皇后両陛下献上記念品
  • 献上手 古伊万里焼 福右衛門作
  • 朝日新聞掲載 白磁牡丹彫
  • 日展最高賞受賞 真右エ門窯 男のマグカップ